言の葉。
言葉には言霊といって、呪力があります。
だから「駄目だ」「無理だ」っていう人はほんまに駄目になるんです。自分で自分に呪詛をかけているようなものですね。
かといって、口先だけの人ももちろんいます。それは言の葉に、魂をのせていないのです。だからそれに対して責任取る気もない。
けど本気の言葉には、魂が宿る。それを裏切るのは、自分の魂に背くことになるんです。
なんて言うと、少し大げさかもしれませんが。
言葉というのはそのくらい重みがあるんじゃないと思うわけです。
口にはしない文章であっても、その効力は絶大ですから。
ときには人を攻撃する武器となり、身を守るための防具となる。
けど攻撃ばかりしていると攻撃されやすくなるわけで、身を守るには相手の武器より強いものが必要なわけで。(防弾チョッキだって完全に衝撃はなくせないし、下手すりゃアバラ折れますからね)
そもそも言葉って、傷つけあうためだけにあるわけじゃないでしょう。
うまく伝わらなかったり、誤解を招いたりして、便利どころか争いの種になりかねなかったりするけど。
誰かの言葉一つで、人生変わるような感動を覚えることもあって。
死に追い込むこともできれば、救うことだってできてしまうものなのです。
ただ、後者の方が断然難しい。
言葉は、毒にも薬にもなる。
毒づくのは簡単だけど、言葉で人を癒すって、生半可なことではないと思います。
薬はタイミングと量次第で、毒にもなっちゃいますからね。
相手にとっては副作用(?)もあるかもしれないし。
かといって、少なすぎると効果がなかったり。
中々、意図してできることではないのかもしれません。
その一方で、毒も少量であれば薬になったりもするのです。(ものにもよりますが)
要はさじ加減ってことですね。
言葉に力がある人、というと、何でもはっきりしゃべることができる、意志の強い人なイメージがありますけど。
毒と薬をうまいこと使い分けられる人こそ、言葉に力がある人、なんじゃないかなと思います。
私にはまだまだ、その力が足りないようです。
空砲をいくら撃っても意味はなし。
いつも元気に空回り。
口数ばかりを増やすのではなく、言葉に重みがなくてはね。
あー、言葉って、難しい。