先日、卒業した専門学校の制作展に行ってきました。

 作品見るためっていうか、久しぶりにみんなに会いたいからといううか…。
 実際、同期の友人は三、四人しか来てなかったけどね。

 お世話になった先生方や、同じ日に見に来ていた塾関連の皆さんに挨拶したり、バイトで知り合った在校中の後輩の作品を見てみたり(本人は体調不良でお休みだったけど)と、結構長いこと居座ってました。
 
 学生さんの熱意に刺激を受けたり、若さやチャンスを多さを嫉んでみたり(半分は冗談ダヨ!)しながら……自分も、もっともっと頑張らねばなぁ、と気が引き締まりました。

 その日はまぁ、懐かしさも手伝って、まったり友達と過ごしたけれども…(そういう時間も大切ですよね)今日は真面目に、お仕事のノルマを終わらせてみたりして。
 いや、全くもって当たり前のことですけども。

 時間的に多少の余裕をもって終わらせると、何だかとても気分がいいんですよね。(そんだけ、いつもギリギリってことだが……)
 
 というか、仕事量どんだけ多くても、お話考えたり文章書くんだったら、そんなきつくはないな、って心底思う。
 時間とか体力とかだけじゃなく、何より精神的に。

 楽、とまでは言わないけど、楽しい、というのは事実。
 それで生活できるなら、もう何の文句はないと思う。
 実際、その夢の生活ができるようになったわけで……つまり、今月からバイトをやめて、ゲームシナリオに専念できるようになったわけなのですが。

 そんな、恵まれた状況で。しかし、それに満足しきってたらいかんよなぁ、と思います。
 いつ仕事がなくなるかわかんないし、それに何より、小説でデビューしたい、本を出したいという思いは変わらないので投稿は続けるわけでして。

 ゲームシナリオライターというのが不満なわけではなく、ただ小説が書きたい。だから、ゲームシナリオだけで小説を書かなくなるというのは絶対嫌。
 っていうか無理。全く書かなくなったら多分、色々とバランスがとれなくなると思う。


 私は別に、才能があるわけでもなく、特別な何かを持ってるわけでもないから。
 多分、書き続けること。そしてそれを楽しむこと。(産みの苦しみはあるにせよ)
 それが一番大切なのかなぁ、と思います。


 いや、もっとね、知識とか構成力とか、取材力とか、必要なものは色々あるとは思うんですが。

「書かなくちゃ」
 
 よりも、

「書きたいんだ!」

 っていう方が、いい作品書けそうだし、続けていけるような気がするんですよね。

 周りに「書けない!」と悩む方が多いので、余計にそう思う。
 でも、苦悩を知らないと深い作品は書けないというし、悩んで迷って、地べた這いずり回るのもアリだと思うけど。

 ただ、それが地獄だってことも知ってるのでね……。

 書くのが嫌になったり、諦めてしまったりするのはやっぱり、寂しいですよね。
 逆に自分の存在が刺激になって「私も頑張る!」なんて言ってもらえると、すごく嬉しい。

 私は周りからたくさんそうした刺激をもらってるので、自分も与えられたらいいな、と思います。